| 年号 | 日本主観の歴史 | 半島主観の歴史 | ||||||||
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| 2002年 | 7月 | ?日 | サッカーW杯「Korea-Japan」 日韓共催大会開催。 日本代表はセカンドラウンド(トーナメント)まで進出。 大会前は好韓キャンペーンが展開され、チゲ、キムチなど韓国(物産)ブーム。 大会期間中は、共催国・韓国代表も応援した。 ただ、韓国の「活躍」に過剰に肩入れするマスコミと、韓国代表の疑惑のプレイに辟易して冷めていく国内世論の間に溝が見られた。 大会後はノンポリ層(主ににわかサッカーファン)の間にも嫌韓が広まる。 |
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サッカーW杯「Korea-Japan」 韓国主催。 韓国代表はベスト4まで進出。 大会期間中は、日本代表が活躍するたびにブーイング。 「ジダン粉砕」「アズーリに飛び膝蹴り」「コスタリカ審判」など、世界中のサッカーファンにanti-Koreaブームを巻き起こし、試合内容に疑惑を持たれる。 |
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| 1965年 | 6月 | 22日 | 日韓基本条約締結。 韓国を朝鮮の唯一の政党政府と認め、賠償請求権の相互放棄、日本から韓国への8億ドル相当の経済協力を約束、韓国政府の合意のもと実現した。 日本は個人賠償を提案したが、韓国が拒否したため韓国政府への経済協力の形で一括賠償した。日本政府の認識としては、これをもって韓国に対する賠償は終わった。 |
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日韓基本条約締結。 日本からの「経済協力」を受けた。 日帝36年の被害を考えれば微額だが、戦争によって荒廃した国土の早期回復のためには致し方ない。 韓国政府見解としては「経済協力」を受認しているが、韓国民によって続く「謝罪と賠償請求」を韓国政府が抑止する考えはない。 |
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| 1953年 | 7月 | 27日 | 朝鮮戦争休戦。 朝鮮戦争は超大国同士の代理戦争であり、日本は日米戦争(太平洋戦争)の覇者であるアメリカに協力した(朝鮮戦争休戦時の米大統領アイゼンハワーは二次大戦の英雄のひとり)結果、東西冷戦の西側諸国の一員となった。 |
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朝鮮戦争休戦。 1953年1月にアメリカでは朝鮮戦争の休戦を選挙で公約したアイゼンハウアーが大統領に就任し、同年3月5日にソ連でスターリンが死去。南(米)北(ソ)を支援する環境の変化により、朝鮮戦争休戦協定が結ばれた。 |
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| 1950年 | 6月 | 25日 | 朝鮮戦争勃発。 二次大戦後、疲弊していた経済は朝鮮特需により奇跡的な活況を呈し、日本経済の高度成長期の呼び水となった。 |
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朝鮮戦争勃発。 それぞれ、朝鮮半島の独占的正当政府を譲らない南北の分断は確定的となり、朝鮮民主主義自民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)が、血で血を洗う同族戦争に。一時は首都ソウルを奪われ、首都を釜山にまで後退させていた韓国軍が現在の国境線にまで戦線を押し返し、38度線が策定される。 |
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| 1945年 | 8月 | 15日 | 大東亜戦争(太平洋戦争/第二次世界大戦)終戦。 |
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日本の敗戦による朝鮮解放を祝う光復節。 | ![]() | ||||
| 1944年 | 3月 | ?日 | 朝鮮において本格的な徴用が実施される。 拒否した場合は逮捕され、一年以下の懲役。 内地人、外地人の分けなく平等に適用。 給料はきちんと払っていた模様。 本土に連れて行かれた人数は、せいぜいが数千〜数万程度。 |
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なにはともあれ強制連行。 ちなみに時期は特定しておらず。 警官や兵隊が実力をもって無理矢理連れ去った。 炭坑などで筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け、奴隷のように働かされた。 数百万が犠牲となった。 |
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| 1942年 | 3月 | ?日 | 朝鮮において官斡旋による労働者の募集が始まる。 ちなみに仕事を辞めるのは本人の自由。 |
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官斡旋の名を借りた強制連行。 タコ部屋に放り込まれた。 |
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| 1941年 | 12月 | 8日 | 対米戦争(太平洋戦争)勃発。 ハルノートの拒絶からやむなくアメリカに宣戦布告、真珠湾を空爆攻撃する。 |
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対米戦争勃発。 内地とともに戦争遂行に協力し、対米戦争を戦う(戦前史観)。 日帝の戦争に巻き込まれる(戦後史観)。 |
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| 1939年 | 9月 | ?日 | 朝鮮において民間企業による一般募集が始まる。 | ![]() |
一般募集の名を借りた強制連行。 | ![]() | ||||
| 1938年 | 4月 | ?日 | 朝鮮において陸軍特別志願兵制実施。 初年度の応募数2946名、採用数406名、倍率7.7倍。 これ以後、順次増えることになる。 |
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志願の名を借りた強制連行が始まる。 | ![]() | ||||
| 1910年 | 8月 | 22日 | 日韓併合。 「日韓併合に関する条約」が、続いて同29日には「日韓併合に関する宣言」が調印、発表された。日本は大韓帝国(朝鮮)を日本の一地方(北海道や沖縄と同じ)とし、当時の日本の国家予算の10%にも及ぶ「予算」を投下して、治水、造山、農地改革、税制整備など、朝鮮より先行していた台湾・日本本土の開発に追いつくよう、国家政策として朝鮮の近代化を進めた。 |
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日韓併合。 日帝36年に及ぶ支配の始まり。 農地を奪われ、人材は日本に連行され、自発的近代化の芽を奪われ、36年に渡って収奪の限りを尽くされた。 |
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| 1875年 | 9月 | 20日 | 江華島事件(雲揚号事件)により、日本の軍艦は朝鮮側からの砲撃を受けたため、やむなくこれに反撃。砲戦で朝鮮に勝利した後、その賠償と引き替えに「日朝修好条規(江華島条約)」を結ぶ。 |
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江華島事件(雲揚号事件)により、自国海域で無通告演習をされた朝鮮は自衛のため日本の軍艦を先制砲撃。砲戦で日本に敗れ、日朝修好条規(江華島条約)を結ばされる。 | ![]() | ||||